望んだ世界を創り出している自分に気づく

久々にこちらのブログを更新です。

カウンセリングというかセッションというか、ブログのあり方をあれこれやっている間に少し放置気味になってました。

でも、占いのジャンルで書く内容じゃ無いよなって思うことが増えてきたので、こちらに書くことにしました。

想いは常に具現化しているのでは?と感じる事が増えてきました。

私は八王子の裏高尾にある千代田稲荷神社さんの掃除をたまにやってます。

掃除をしたくてしているだけなので、御利益とかに興味は無いです。

掃除が終わったら買ってきたお稲荷さんを祀って、祝詞を奏上して、薬王院に登って帰るだけです。

時には神社だけで帰ることもあります。

やりたいからやっているだけなのですが、祝詞を奏上している時に「あれ?人の想いが現実を創っているって言うけれど、本当にそうだね」という想いに至りました。

祝詞はこの世界が平和でありますように、みんなに力を貸してくださいってお願いしているようなものです。

それは気持ちを言葉にしているわけですが、気持ちの上では「平和」を形にしています。

想いは想いでしかないように見えて、実際は想いがこの世界を創っていると言えます。

極端に聞こえるかもしれませんが、想いが行動を生み出し、行動が形を作りだしています。

面倒くさいな~と思えば、そのような行動になります。

楽しいと思えば、そのような行動になります。

幸せな人は幸せを創りだします。

恋人同士の暖かい空気感なんてまさにそれです。

何を想うか

この影響はかなり大きいなと思うのです。

そして、自分が日々何を想っているかは、自分の身の回りの状態を見ると分かります。

自分の身の回りとは、それはつまり世界のことです。

どういう環境にあるのか、どういう言葉で溢れているか、どういう態度の人・行動の人が多いかを確認してみてください。

それが想いが形になった状態です。

望んだ感じであれば、正しく幸せであると言えます。

望んだ感じでない場合は、想っていることがズレている可能性があります。

まずはここに気がつくようにします。

望んだ形なのかそうではないのかです。

望んだ形になっていない時、それは想いのどこかの歯車がかみ合っていません。

望みそのものがズレているのか、望みは合っているけれど行動がずれているのか、あるいは両方共ずれているのか。

何を想っているのかで世界が作られているとしたら

その結果が今の目の前の世界だとしたら

何となく怖いけれど、実際は「正しく想えば良いのだ」と分かってきます。

幸せに気づくこと、幸せであること

ここを求めていけば、望んだ世界に変わっていきます。

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