スピリチュアルというと漠然とした感じになるので、私は「感性」という言葉を使うことがあります。
そして、現実の世界を「理性」という言葉を使うことがあります。
分かりやすくするために、感性を感覚、理性を理屈と理解して頂いても良いです。
最初からいきなりお話しますが、スピリチュアルという感性の世界に関心がある人、または時は理性を優先した方が良いタイミングにあります。
理性とは理屈だとお話しました。
理屈とは物事の道理です。
何をどのようにすれば良いかを考えることを理屈と良い、それが理性に繋がります。
もともとこの世界は「感性の世界」だろうと私は思っています。
感性の世界とは、言ってみれば自分が感じている世界です。
だからこの世界は自分が作り出しているって言われることがあるのです。
だからスピリチュアルが大事なのでは?と感じる人もいると思います。
逆説的ですが、スピリチュアルに関心がある人は、もう十分に感性が育っていると感じています。
いろいろな事を感じる力があるから、スピリチュアルにも関心を持っているわけです。
だから今必要なのは感性ではないのです。
今必要なのは「感じたことをどうとらえるか?」という理性の力です。
もともと感性をサポートするのが理性です。
これを知っておくだけで世界が変わります。
感性で感じたことは、自分に幸せを気づかせてくれることです。
感性=幸せと言っても良いですし、感性=満たされた状態でも良いです。
ここでいう感性(または感受性)というのは、外に向けた感覚ではありません。
自分の内側から感じる感覚のことです。
だから周りの影響は受けません。
「私は影響を受けやすくて」とお話になる事もありますが、ここでいう感性には関係ないのです。
自分の内側から感じる事は「自分が幸せであるために必要なこと」を感じさせてきます。
子供の頃を思い出してみてください。
何もしていなくても楽しかった時があるかもしれません。
何も無いのに地面に絵を描いたり、砂場で山を作ったり、ただ楽しそうと感じたことをやっているだけで幸せな状態を作り出しています。
これが感性であり、自分で幸せな状態を作り出す(思い出す)感覚です。
大人になると様々な理屈がくっついてしまっているので、知らない間に感性が押さえ込まれて、理性だけで生きてしまう状態が出来上がっています。
これが苦しみの原因になります。
理性には判断する力は無く、正しい、間違っているというのはありません。
ここに苦しみの原因があります。
理性の判断する軸を社会に合わせると、社会が正しいということが理性も正しいと判断するようになります。
でも、最初に言いました。
理性は感性をサポートするために存在すると。
感性を考慮しない理性が出す答えは、感性を無視しています。
感性を無視した答えは「社会的には正しい」かもしれませんが、「自分自身にとっては正しくない」です。
この「自分自身にとっては正しくない」ことに気づけないことが多いです。
だから苦しいと感じていたり、行き詰まりを感じているのにどうしたら良いか分からなくなります。
サポートのはずの理性が前面に立ち、メインのはずの感性が見えなくなっている状態です。
まずはこの状態にあるのかないのかを整理します。
もし自分の心を置き去りにしている感じがする場合は理性が判断の軸になっています。
可能ならば、感性に意識を向けてください。
何が感性か分からなくなっているかもしれません。
それでも理屈じゃ無い何かが必ず内側にあります。
感性とは楽しいとか好きとか暖かいとかそういう感覚の中にあります。
私はよく「何が好きですか?」と伺います。
好きに理由はありませんし、理由はいりません。
理由無く好きなのが感性なのです。
理由がつくのは全て理性です。
なんだか分からないけれど楽しい、好き、うれしい事を内側から引き出していきます。
そして、引き出した感性を形にするためにどうしたら良いかを「理性」で考えます。
これがサポート役となる理性の本来の役割です。
感性のままだと形にしにくいものも多いです。
それを理性が形にしてくれます。
これが願いが叶う状態です。
感性と理性という話を突然聞いても分からないかもしれません。
でも、苦しいときは理性が先に来てしまっていると思って良いです。
「あぁ、そういうものか」という感じになるだけでも、出口が見え始めます。
見えない世界に意識が向く人は「そこに答えがある」と思うときがあります。
実際はもうその世界は十分で、その世界に向かうための手段としての理性を育てていく段階にあります。
そういうこともあるのか・・・と伝わると良いなと思います。
お客様とやりとりをしていて、大切なことだったのでここでもお話をしました。
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