最終的には「悩みはなくなる」気がしてます

年が明けました。

年末は八王子にある高尾山の麓の千代田稲荷神社さんに行って、掃除をしてました。

その後、山頂に上がった時の写真がこちら↓

右手の端っこにある山は富士山です。

まあそれは良いとして、何かに悩んだ時、その原因になりやすいのが感情だったり感覚だったりします。

それは当たり前の話です。

でも、それは本当に当たり前なのだろうか?と考えるようになってきました。

究極、すべての悩みは存在しないという考えに行き着きます。

だって、私たち(私が)がこの世から居なくなれば、それらも存在しなくなります。

悩みを悩みとして意識しているだけで、存在しているようで存在していない、そんな感じです。

この世から居なくなるというほどの極端な考え方じゃなかったとしても、そもそも悩んでいる事に対しての答えなどは一択に絞られるものです。

これは「今、判断出来ることは一つしかない」からです。

絞って絞って絞りまくれば、一つしか選べないです。

それが、やるかやらないか

その程度のものです。

どんなに悩んでも苦しんでも嫌になっても、結局そこに行き着いちゃうんです。

みんなそれが何となく分かっているけど、分かりたくないから悩むんです。

そんなに簡単じゃない!って思うから悩んでしまうんです。

繰り返しますが、結局、一つしか選べない。

どれだけ悩んでも苦しんでも、その時に選ぶことが出来るのは一つになるようになってます。

だから悩んでもしょうが無いっていう話ではなく、悩む中で気がついていることが「最終的な答えになる」とお話したいのです。

やるかやらないかについては、悩んでいる間にほとんどの場合気がついています。

でも、なんとかそれを選択しないで済む方法はないかと考えるので、悩みが尽きません。

必要な答えはすでに気がついているため、どれだけ考えても良い答えが出てくるわけがないんです。

でもまあ悩むのが人間なので・・・。

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