なぜ全てを許した方が良いと言うのか

「全てを許すと良い」と聞いたことがあるかもしれません。

結論から言えば、許そうと思おうが思わなかろうが、許すことになります。

許すというか、受け入れるというか、気にならなくなり消えていくというか。

どれほどの事が起きたとしても(望んだことが起きなかったとしても)、最終的には消えていきます。

許せないようなことが起きても、10年20年50年80年と時間の経過によって、どうでも良くなっていったり、気にならなくなっていたり。

今世でダメなら来世、子々孫々の間に消えていきます。

最終的に「どうでも良くなる」わけです。

どうでも良くなる理由は、そういうことよりも大切なこと、本質的なことに意識が移り変わっていくからです。

本質的とは「自己の解放」のことであり、自己の解放とは「幸せに気づくこと」です。

幸せに意識を向けるようになると全てが「幸せ」に向かって変わり始めます。

幸せに意識が向けば向くほどに、「良い」を選び、嫌なものから離れようとするので、人生は穏やかに楽しくなります。

人は生まれた時からそっちに向かうようになっています。

結果的に自分を縛るものからどんどん離れていきます。

思ったような形かどうかに関係なく、どうでも良くなります。

ただ、「全てを受け入れた方が良い」「許すと良い」みたいに言っても、その段階に自分が居るかどうかというのはあります。

「あぁそうだよね」となる人も居て、「死ぬまで許せない」という人も居て、どちらも正しいです。

許せないという想いに縛られていたとしても、いつかどこかで「あぁ、そうだよね」と必ずなるから今はそれで良いんです。

それを何とかしようと無理をするのではなく、「いつかあれも必要だった」と思えたら良いな~ぐらいのものです。

苦しみがあるならそれで良いから、苦しみを抱える一方で「幸せ」に意識を向けるようにします。

苦しい中で「どこを向けば良いか」と分かっていると、人生は随分と変わります。

どこに向かっていけば良いか分かっていると、最終的には全てが気にならなくなり、「それで良いよね」となっていきます。

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